【マギレコ】「ジャンヌ・ダルク」と「桜」の話
TVアニメ「まどか☆マギカ」を初めて見た時の感想は「心が抉られた」だった。
後に公開された劇場版「叛逆の物語」もやはり「心が抉られた」だった。
その後はしばらくこのような感覚が無かったので忘れかけていたが、久しぶりにその感覚を思い出すストーリーに出会えた。
それがジャンヌ・ダルクの時代を舞台にした物語「常夜の国の叛乱者*1」だった。
今回のイベントって実にまどか☆マギカ「らしい」ストーリーだったな…。
— Tsuyu@千葉県民 (@tsuyu1222) July 23, 2019
「ジャンヌ・ダルク」の行く末を知っているだけに、この展開は…。
久々に涙腺が壊れた……(´;ω;`)#マギレコ #madoka_magica pic.twitter.com/uHffwv3Kn5
今回のイベントを集約した4枚のスクリーンショット
*1:2019年7月に配信された期間限定イベント
「論理トレーニング」が「校正トレーニング」になってしまったという話(後編)
必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かないのが仕事の文書を書くときの第一の原則である
前回に続き、「論理トレーニング」が「校正トレーニング」になってしまった話をする。
今回取り上げた箇所は全部で15*2。校正例も付けているが、書きようの無いものは除外している。
また、便宜上、文の先頭に丸数字を付けている。
(1)
①例5のような場合には、あくまでもその論述の中での言葉づかいだけに関わるものであるから、われわれも一応はそれに従い、適切さの評価としては、その意味規定が論述を通して一貫しているかどうかを調べることになる。(P62)
- 要約すると「論述内(例5)で定義されている言葉は、その中で正しく使われているか?」という話である。
- 「論理トレーニング」によく見られる傾向として「1つの文にたくさんの要素を詰め込んでいる」というものがある。たとえ筋の通った文であっても、詰め込み過ぎると内容が分かりづらくなってしまう。
- ちなみに、例文(例5)は「ここで、「自然科学」の内には数学は含めないこととする。」という内容。同じ助詞が続いて歯切れが悪い。「ここで、「自然科学」の内に数学は含めない。」くらいで良いだろう。
①例5は、論述中の言葉づかいに関する内容。②そして、定義された言葉が文中で一貫しているかどうかを調べることになる。
「論理トレーニング」が「校正トレーニング」になってしまったという話(前編)
「論理トレーニング(新版)」という本がある。
内容は主に論理的な思考方法を解説したもので、主張の組み立て方や推論の方法が紹介されている。また、質問の仕方や論文の書き方なども含まれており、参考になる箇所は多い。
しかし、この本には致命的な欠点がある。
それは、「説明や解説が読みづらい」というものだ。
特に目立ったのは「指示語や接続語の乱用」である。「これ」や「それ」が幾つも出てくる文もあれば、接続語が二つ並べて使われた文(「それゆえまた、~」「しかし、ときに、まさにこの~」など)もあり、読みづらい文がかなり多い。
また、「ひらがなの多用」や「回りくどい表現」(~するということは~するということにほかならない、しかしいまわれわれにとってだいじなのは~、など)も目立ち、読みづらさに拍車をかけている。
どのような本でも、文章が拙いと感じる箇所は多かれ少なかれ存在する。しかし、「論理トレーニング」では「例題」や「問題」だけでなく、「説明」や「解答例」まで含めた、大半のページに渡って見られたのである。
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「マナー」と「監視」の話
先日、祖父の葬儀があった。身内の葬儀は20年ぶりで、社会人になってから葬儀の場に出るのは初めて。マナーをきちんと守るように気を付けたが、杞憂で終わった。
それは、親族には良くも悪くも大雑把な人間が多いからである。
例えばハンカチであれば、葬儀の時は白か黒を用いるのがマナーであるが、大慌てで準備をしたため完全に失念しており、結局ベージュのハンカチを持って行った。
しかし、それで困ることは無かった。両親や弟に余りが無いか聞いたが、そのままで良いと言われたからである。また、香典も用意しておいたが、家族だからという理由で断られた。
島宇宙と異文化の話
放送大学で今期から「メディア論」の講義を受講している。
と言っても、科目登録はしていない。
時間に余裕があるので興味がある講義をネットで視聴しているだけである。
印刷教材(=教科書)も自費で購入した。
その講義の中で「島宇宙」という言葉が出てきた。SNS上で作られた同じ趣味や嗜好・考えを持つ人同士が集まって出来たグループを指す言葉である。
他の言葉に言い換えれば「異文化」になるだろうか。「日本語とコミュニケーション」の講義で紹介されていた「文化の島」を思い出す。
「文化の島」とは「目に見える所では違って見えても根っこは同じ」という考えのこと。カタカナ語で表せば「ジャンル」や「クラスタ」になるだろうか。
例えば、趣味の話をするなら同じ趣味を持つ人と話すだろう。趣味の違う人に自分の趣味の話をしても、楽しい会話にするのは難しい。同じ趣味の人同士で話し合い、繋がるのが自然である。
しかし、見えない所でも実は共通点があったりする。
利用してる言語やSNSの種類、個々人で見れば年齢や性別などもあるだろう。
「文化の島」で例えるなら、これらは「地盤」や「地殻」となる部分と言える。
「島宇宙」なら「ダークマター」が近いだろうか。
要するに、一部の表面的な所(この場合は趣味)しか見てないので、同じ日本人同士であっても「文化や価値観が違う(=異文化)」と感じてしまうのである。
しかし、隔たりがあるように見えても、実は見えない所で繋がっているのである。
ではまた(´・ω・`)ノシ
「メディア論」の講義で、同じ趣味や嗜好・考えを持つ人同士が集まって出来たSNS上のグループを「島宇宙」という言葉で例えていたけど、これを身近な言葉で言い換えれば「異文化コミュニケーション」になると思う(´・ω・`) #放送大学 #メディア論
— Tsuyu@雑記ブロガー (@tsuyu1222) 2019年4月4日
続き。そういえば「日本語とコミュニケーション」の講義で「文化の島モデル」というのがあったな。「目に見える所では違って見えても、実は根っこは同じ」という考え。「島宇宙」もこれに通じる所があると思う(´・ω・`) #放送大学 #メディア論 #日本語とコミュニケーション pic.twitter.com/GXmgbJGp7Y
— Tsuyu@雑記ブロガー (@tsuyu1222) 2019年4月4日
【マギレコ10章】「マギウス」って「ゴルベーザ」みたい
今月5日から最終章である第10章が配信されている。そして第3話で遂にストーリーの真実が明らかになった。敵対組織である「マギウス」の幹部キャラ(灯花、ねむ、アリナ)がどう動くかは気になっていたが、まさかこのタイミングで記憶が戻るとは。最後の最後まで敵として立ちはだかると思っていたので、驚きの展開である。
この「最終決戦直前で敵対組織の幹部キャラが味方になる」という展開であるが、自分の中で心当たりのあるキャラが1人いる。FF4の「ゴルベーザ」である。「マギウス」は組織で「ゴルベーザ」は個人という違いはあるが、いくつかの点で共通する所が見られる。
1.洗脳されている
- FF4:ゴルベーザは黒幕であるゼムスに洗脳され、彼の意のままに破壊と収奪を繰り広げる。大半のイベントに絡んでいる(部下含む)ため、ストーリーのかなりの部分において「倒すべき相手」として認識させられる。
- マギレコ:契約時の反動で記憶が曖昧になった所をアリナが上書きしてしまう。そして「計画」に沿って「マギウス」という組織が出来上がり、最終的には「ワルプルギスの夜」を呼び込んで神浜市を破壊するところまで暴走してしまう。
2.その洗脳が最終決戦直前で解ける
3.兄弟・姉妹の関係がストーリーのカギになっている
- FF4:ゴルベーザは幾度となくパーティーの前に立ちはだかるが、洗脳が解けたことで主人公・セシルの実兄であることが判明する。
- マギレコ:主人公・環いろはの妹・ういを探し出すことがストーリーの目的である。そして、ういを救出したことで灯花とねむの記憶が戻る。
話をマギレコに戻す。
このまま順当にストーリーが進めば、おそらく「最終決戦」で「ラスボス」を倒して「大団円」になるだろう。
しかし、まだ波乱が起きそうな気がしないでもない。「抜け殻」になった「イブ」が大人しく朽ち果てるかどうかは分からないし、幹部の1人であるアリナの動向も記憶が戻った後はまだ描かれていない。
そして何よりも「リセットボタン」を押しそうな人物が約1名いることを忘れる訳にはいかない。
とにかく綺麗に終わってくれることを願う。
ではまた(´・ω・`)ノシ
リセットは無しやぞ?(´・ω・`)#マギレコ #madoka_magica pic.twitter.com/B1j1y6EIba
— Tsuyu@雑記ブロガー (@tsuyu1222) 2019年3月6日
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