最西端の鉄道駅と長崎の史跡巡り(3/3)
前回から続く長崎シリーズの話。とりあえず今回で一区切りです。
長崎に来たからには絶対に行きたい所がありました。
それは軍艦島。
あれだけの規模の廃墟は滅多に見れないし、
建物の損傷具合を考えれば行けるうちに行きたいところ。
前回のたびら平戸口駅と同じ今回の旅の目的地の一つでもありました。
・・・が、予約していた軍艦島上流ツアーが悪天候により見事に中止。
数日前まで晴天続きだったのになぜ当日になって波風が強くなるのか。
低気圧空気読め。
しかしながら長崎は史跡が多くある街。
空いた時間を使って長崎駅近くの史跡を見てきました。
長崎駅。この日は晴れと雨が交互にやって来る変な天気なので屋外の散策には不向きでした。
日本二十六聖人記念館
長崎駅から徒歩5分と近いので最初に立ち寄りました。
日本二十六聖人というのは1597年に豊臣秀吉の命令により処刑された26人のキリシタンのこと。彼らは京都にいたところを捕縛され、耳たぶを切り落とされたのちに長崎まで連行されます。そして磔にされたのが西坂という小高い丘なのですが、その場所にこの記念館が建っているのです。
館内には「ザビエルの手紙」や「秀吉の禁教令の写し」など当時の貴重な書物や絵画が展示されています。
(公式サイト:日本二十六聖人記念館)
日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」。博物館があるのはこの裏。
長崎歴史文化博物館
南蛮貿易が始まる室町時代末期から外国船が次々とやって来る幕末までの歴史を一様に知ることが出来る博物館です。長崎は江戸時代に唯一外国と貿易をしていた街。当時の中国やオランダとの交流の様子や、それを取り締まる長崎奉行所の仕事などが閲覧できます。
また、博物館が建っているところにかつて長崎奉行所があり、当時の様子が忠実に再現されています。
(公式サイト:長崎歴史文化博物館)
再現された長崎奉行所。正門ではなく、駐車場側の入口から見れます。
グラバー園
グラバーとは当時長崎に在住したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーのこと。倒幕派・佐幕派問わず武器を販売(いわゆる死の商n)していたほか、造船や炭鉱の開発を手掛けていました。また、鉄道が開発する前に蒸気機関車の試走をしていたそうです。
そのグラバーの邸宅跡に長崎市内の歴史的建造物を移築したのがグラバー園。グラバー邸を初めとする多くの洋風建築が立ち並び、屋内には当時の様子が再現されています。
(公式サイト:グラバー園公式ウェブサイト)
旧グラバー邸。日本に現存する木造洋館としては最古のもの。
この他にも江戸時代に唯一外国と貿易をしていた「出島」や、幕末に坂本龍馬が設立した「亀山社中(後の海援隊)」に関する資料館もあったのですが、時間が足りずに断念となりました。
元々軍艦島に滞在する程度の時間しか考えてなかったから仕方ない・・・。低気圧空気読め。
また、長崎は原爆の被爆地でもありますが、爆心地は同じ長崎市内でも中心部よりやや北側にある浦上という地域だったそうです。
なので、「平和祈念像」や「原爆資料館」など原爆に関する祈念碑や資料館を訪れるならば、最寄り駅は長崎駅よりも一つ手前の浦上駅(路面電車だと松山町)になります。
旅行の必需品「歴史」
旅行に行くならば旅先の歴史くらいは仕入れておいた方が良いと思います。地理と歴史は切っても切れない関係ですからね。
例えば長崎であればキリスト教の教会が多く目立ちますが、それも歴史を知っていれば理解するのは難しくないでしょう。歴史を知ることでその土地を深く理解することが出来るのだと思います。
あとはお天道様が邪魔しないことを祈るだけ。とりあえず低気圧は空気読め。
ではまた(´・ω・`)ノシ
参考リンク
日本二十六聖人 - Wikipedia
長崎奉行 - Wikipedia
トーマス・ブレーク・グラバー - Wikipedia