旅と散歩の話

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「論理トレーニング」が「校正トレーニング」になってしまったという話(後編)

必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かないのが仕事の文書を書くときの第一の原則である 

木下是男『理科系の作文技術(リフロー版)』 中央公論社 2016年 *1

前回に続き、「論理トレーニング」が「校正トレーニング」になってしまった話をする。
今回取り上げた箇所は全部で15*2。校正例も付けているが、書きようの無いものは除外している。
また、便宜上、文の先頭に丸数字を付けている。

 

(1)
①例5のような場合には、あくまでもその論述の中での言葉づかいだけに関わるものであるから、われわれも一応はそれに従い、適切さの評価としては、その意味規定が論述を通して一貫しているかどうかを調べることになる。(P62)
  • 要約すると「論述内(例5)で定義されている言葉は、その中で正しく使われているか?」という話である。
  • 「論理トレーニング」によく見られる傾向として「1つの文にたくさんの要素を詰め込んでいる」というものがある。たとえ筋の通った文であっても、詰め込み過ぎると内容が分かりづらくなってしまう。
  • ちなみに、例文(例5)は「ここで、「自然科学」の内には数学は含めないこととする。」という内容。同じ助詞が続いて歯切れが悪い。「ここで、「自然科学」の内に数学は含めない。」くらいで良いだろう。
【校正例】
①例5は、論述中の言葉づかいに関する内容。②そして、定義された言葉が文中で一貫しているかどうかを調べることになる。

 

 (2)

①鏡の中の姿は自分ではなく他のチンパンジーだと思っているのだが、それが見慣れた他のチンパンジーたちとあまりに違った顔をしているので、びっくりし、もしかしたら自分もそうではないかと思い、自分の顔をさわりはじめたという仮説も、まったく不可能というわけではない(P81)

  • 文章を読んで他の仮説を考えよ、という例題に対する解答例。この一文だけで127文字もある。
  • チンパンジーだと思っているのだが」の「が」は逆接の働きをしている。少なくともここで一度文を区切るべきである。
【校正例】
①鏡の中の姿は、他のチンパンジーだと思っていた。②しかし、見慣れた顔とはあまりに違っていたのでた驚いてしまう。③そして、「もしかしたら自分もそうではないか」と思って自分の顔を触り始めた、という仮説も考えられる。

(3)
①規範に関わる論証は、しばしば、あることを行なうと仮定するとどのようなよいことが生じるか、あるいはどのような悪いことが生じるかを指摘し、それによってそれをすべきかどうかを判断するという形をとる。②その場合には、いったん仮定を立て、その仮定のもとで議論をしてから、その結果に基づいて結論を出す、という論証の構造をもつことになる。(P87-88)
  • ①の文には「それによってそれをすべきかどうか」と「それ」が2つもある。さらに、②の文では「その場合」「その仮定」「その結果」と「その」が3つも使われている。ここで使われている「それ」や「その」はスムーズに解釈されるだろうか?
  • P33の冒頭で指示表現を多用した文章を「雪ダルマ式」と例えているが、この本の多くの部分が「雪ダルマ式」である。
【校正例】
①規範に関わる論証は、仮定を立てて行うことがある。②そして、どのようなメリット・デメリットが生じるかを議論し、最後に結論を出すことになる。

(4)

①「太郎は来るはずだ」という主張に対して「そんなことはない」と応じるとき、それはただ「太郎は来るはずがない」という場合だけでなく、「太郎は来るかもしれないし、来ないかもしれない」という場合もカバーしていると考えられる。②「太郎は来るはずだ」というのは、「太郎が来る」と考える根拠があるということであるから、それを否定するのに、「太郎は来るはずがない」として、「太郎は来ない」と考える根拠があるとまで主張するのは強すぎるのである。③来るか来ないか、どちらの根拠もないという場合も含ませなければいけない。(P104)

  • 「両立不可能な主張」の説明文。3つの文で1つの段落になっている。
  • ②の文には接続詞が無い。そのため、文の繋がりが分かりづらく、全体の解釈も難しくなっている。
  • ②の文を順に読んでいくと、①の文を支持しているように思える。だが、最後に「主張するのは強すぎる」と出てくる。ここでようやく①の文と話の流れが違うことに気付く。
  • ついでに主語が分かりにくいのも読みづらさを助長している。
  • ③の文にも接続詞が無い。最後のまとめなので、「つまり」などの換言の接続詞か「それゆえ」などの帰結の接続詞を入れるべきである。
【校正例】
①「太郎は来るはずだ」という主張に対して「そんなことはない」と応じたとする。②それは単に「来るはずがない」だけでなく、「来るかもしれないし、来ないかもしれない」ところまでカバーしているとも考えられる。③さらに、「太郎が来る」と考える根拠を否定するのに「太郎は来ない」とするのも強すぎる。④つまり、「来る・来ない」だけでなく、「どちらの根拠もない」まで考える必要がある。

(5)

①「すべてのSはPである」や「すべてのSはPではない」のように、あるものたちすべてについてなにごとかを主張する文を「全称文」と呼び、「Sの中にPであるものが存在する」や「Sの中にPでないものが存在する」のように、何かの存在を主張する文を「存在文」と呼ぶ。(P108)

  • 「全称文」と「存在文」の説明。
  • わざわざ1文に収める意味はあるのだろうか?1つ文の中身は1つの内容が望ましい。
  • ついでに表現も回りくどい。この箇所に限った話ではないが。
【校正例】
①「すべてのSはPである」や「すべてのSはPではない」のように、すべてについて主張する文を「全称文」と呼ぶ。②また、「Sの中にPが存在する」や「Sの中にP以外が存在する」のように、何かの存在を主張する文を「存在文」と呼ぶ。

(6)
①「正しく演繹できるかどうかを説明せよ」というのはあいまいな問題形式だが、その分実践的に考えていただきたい。②正しく演繹できるものについては、それを「正しく演繹できない」と誤解してしまった人に説明する、そして正しく演繹できないものについては、それを「正しく演繹できる」と誤解してしまった人に説明する、そういう実際の場面を想定して答えてみてほしい。(P124)
  • 要するに「演繹できるかどうかを答え、その説明を述べよ」という話である。
  • そもそもの話、「あいまいな問題形式」だと思うのなら、それを作ること自体が問題ではないだろうか?
【校正例】
省略

(7)

①この模範解答は、採点者を読み手として想定し、与えられた語句を強引にもこなしつつ、「本当の豊かさについて」といういかにも常識的結論を求めるような論題に答えるものであるために、まさにそれにふさわしいものとなっている。②そして、「もっと自国の文化を知ろう」、「もっと旅行のマナーをよくしよう」、「もっと主体的な旅行をしよう」と、虚しい正論をほとんど論証の構造をもたないままに並べ立て、最後に「物の豊かさから人間性の豊かさへ」と鼻白むような結論をとってつけて終わる。(P166)

  • 入試問題で出される小論文の模範解答が例文として使われており、それに対する解説文である。
  • ②の文にある3つの「もっと~」は著者による要約。引用ではない。
  • そもそも、「教科書」に「虚しい」や「鼻白む」といった言葉を入れて良いのだろうか?
【校正例】
①この模範解答は、採点者を読み手として想定している。②なぜなら、「文化財」「旅」「技術の進歩」といった指定された言葉を並べ、最後は「本当の豊かさについて」という論題に合わせて作られているからだ。③つまり、論証の構造をもたずに、強引に結論へ導いているのである。

(8)

①ひとつの論拠は、人間に対するペシミズムであるかもしれない。②人間のやることは、たとえ善意から為されたことであっても、自然という大きな有機的全体に対してはどうせろくなことにはならない、というのである。(P169)

  • 「自然に人間の手を加えるな」という意見を支持する論証を考えよ、という課題に対する解説文。
  • 「ペシミズム」とは「悲観主義」のこと。②の文で説明しているが、回りくどい表現のため分かりづらい。「自然という大きな有機体全体」の箇所は「自然」の一言で十分伝わるだろう。
  • そもそも、初学者向けの教科書で十分な説明もなく専門用語を使うこと自体が問題である。
【校正例】
①ひとつの論拠として「ペシミズム」が考えられるだろう。②これは、物事をマイナスに捉えることで、悲観主義とも言う。③例えば「善意による行動でも自然の前には無力である」のような考え方である。

(9)
①順当な答えは「すなわち」だろう。②しかし、脈絡さえ与えれば、「しかも」もまったく不可能というわけではない。③たとえば、何かうまい解決方法はないかというという問いに対して、「人による解決というものがある」と答え、「しかもそれは当事者の直接の対決を避けるものなので、当事者が顔も見たくないと言っているようなこの場合にはちょうどよい」と続けるようなことも、考えられないわけではないだろう。④そのような理由とともに「しかも」を選んでいれば、それはそれで正解である。(P177)
  • 「すなわち」か「しかも」を選びその理由を説明せよ、という練習問題*3に対する解説文。
  • ③の文だけで137文字もある。あと3文字プラスするとツイッターの上限数(140)に達する長さである。
【校正例】
①順当な答えは「すなわち」だが、説明内容によっては「しかも」も解答になる。②たとえば、「上手い解決方法はないか?」という問いに対して、「人による解決というものがある」と答えたとする。③そして、「しかもそれは、第三者の判断に解決をゆだねる方法であり、当事者同士がお互いに顔も見たくない、と主張する場合には有効だろう」と続けるなら正解となり得るだろう。

(10)

(a)①カフェインが原因ではなく、コーヒーを飲むときに入れる砂糖やミルクが原因かもしれない。
(b)①コーヒーを三杯以上も飲むことと心臓病になることの共通の原因として、ストレスの多い生活をしているということがあり、そのために、コーヒーを三杯以上飲む人の方が心臓病で死ぬ割合が多くなっているのかもしれない。
(c)①心臓病になるとコーヒーを飲みたくなるのかもしれない。(P187)

  • 「コーヒーを1日三倍以上飲む人は、そうでない人に比べ心臓病で死ぬ割合が3割高い。これはカフェインの取り過ぎが原因である」という仮説に対して他の仮説を考えよ、という問題に対する解答例。
  • 解説に「特に砂糖はあやしい」という一文がある。(a)の文は「コーヒーを飲むときに入れる砂糖やミルクが原因かもしれない」となっているが、別に砂糖を強調している訳ではない。「砂糖はあやしい」の一文は何だったのだろうか?
【校正例】
(a)①カフェインではなく、砂糖が原因の可能性も考えれる。②なぜなら、砂糖は様々な食品で使われているため、過剰摂取になりやすいからだ。
(b)①共通の原因として、ストレスの多い生活が考えられる。②そのため、コーヒーを三杯以上飲む人は、心臓病で死ぬ割合が高くなっているのだろう。
(c)省略

(11)

①ほめられることによって生じる意欲が「またほめられよう」という意欲にすぎないのであれば、たんに教師にほめられようとする学生を育てる結果になるおそれがあるので、ただやみくもにほめればよいというわけにはいかない。(P189)

  • 「学生は褒められると「また頑張ろう」と意欲が湧くので、お世辞でも褒めて育てるべきだ」という考えに反論せよ、という問題の解答例。
  • ひらがなも多すぎると読みやすさを阻害する。「やみくも」や「ほめる」などは漢字にするべきである。
  • そして、解説文も読みにくい。指摘していくと長くなるので省略する。
【校正例】
①ただ闇雲に褒めれば良い、という訳にはいかない。②なぜなら、褒めることで生じる意欲が「また褒められよう」に過ぎないものであれば、学業の目的が「教師に褒められること」になる恐れがあるからだ。

(12)

①問題(4)は実は、ただの冗談である。(P193)

  • 教科書に冗談は不要である。
【校正例】
省略

 

(13)

①自明視されている暗黙の前提に対して「フレーム」という特別の用語を用いても良いだろう。②これは、人工知能などの分野で「フレーム」と言われるものに通じる意味で、「フレーム」と呼ばれうる。③まさにフレームと呼ばれうるものがそうなのであるが、こうした暗黙の前提は、ほんとうに何がどうあったってあたりまえとしか思えないようなものも含めると、一般に無数にあり、そのすべてを書き出すことはできない。(P211)

  • ここで言う「フレーム」とは、「人工知能のフレーム問題」のこと。「現実社会で起こり得る『全て』の問題にロボットは対応しきれないこと」を指す。
  • ②と③の文で「フレーム」を説明しているが、これで理解できるのだろうか?
  • そもそも、無理にカナカナ語を使う必要はあるのだろうか?「暗黙の前提」とは「言うまでもない当然のこと」という意味。そのまま使っても「フレーム」よりは解釈されやすいだろう。
【校正例】
人工知能の分野には「フレーム問題」がある。②これは「現実社会で起こり得る『全て』の問題にロボットは対応しきれない」というもの。③それゆえ、自明視されている暗黙の前提については「フレーム」という言葉を用いても良いだろう。

(14)

①私にはよく分からないのだが、「花子は休まないべきだ」というのはまともな日本語なのだろうか。(P214)

  • 本題から外れた著者の私的意見。注釈に書かれた文だが、「ところで」などの接続詞を使った方が丁寧である。
【校正例】
①ところで、「花子は休まないべきだ」というのはまともな日本語なのだろうか。

(15)

ディベートはディスカッション(自由討論)ではない。②二組に分かれ、審判がいて、勝敗を競う競技である。(P219)

  • 「審判」が存在しない「競技」はあるのだろうか?広い世の中にはあるのかもしれないが、一般的な「競技」のイメージから連想するのは難しい。*4
【校正例】
ディベートはディスカッション(自由討論)ではない。②これは、二組に分かれて勝敗を競う競技である。

 

最後に

野矢氏は元々こういう書き方をする人なのかもしれない。*5
しかし、もし自分がこの本の想定読者(初学者)であれば、別の書籍を探すだろう。なぜなら、分かりやすさも本(特に専門書や参考書)を選ぶ基準の1つだからだ。
どんなに価値のあるものが書かれていたとしても、言葉の表現があまりにも拙いものであれば「絵に描いた餅」になってしまうのである。

ではまた(´・ω・`)ノシ

 

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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理科系の作文技術 (中公新書 (624))

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*1:電子書籍版のため、ページ番号が不明。なお、リーダーは楽天KOBOを使用している

*2:この他にも取り上げたいところが多数ある

*3:この後に「これは~」と続くので、「すなわち」「しかも」自体が不要とも思える

*4:これが(13)で取り上げた「暗黙の前提」である

*5:個人的に、この本は「教科書」ではなく「エッセイ」だと思っている。